そもそも、LGBTとはどういった意味の言葉なんでしょうか?
LGBTは、セクシュアルマイノリティの総称のひとつですが、いろんな単語の頭文字によって構成されている言葉です。
- L=レズビアン(Lesbian)
- G=ゲイ(Gay)
- B=バイセクシュアル(Bisexual)
- T=トランスジェンダー(Transgender)
LGBTを考えるとき、最も重要なのが「性自認」と「性的指向」です。
性自認とは?
性的指向とは?
では、LGBT法案とはどういうものなのでしょうか?
本記事は、LGBT法案の真の目的「闇」に迫ります。
旧約聖書の「ソドム」
旧約聖書に出てくる「ソドム」という町の話が、一神教における性的マイノリティに対する考えの象徴です。
『旧約聖書』に出る町の名。イスラエル人の父祖アブラハムの甥(おい)ロトの一家がこの町に住み着いたが、その住民の倫理的堕落のゆえに、天から下された硫黄(いおう)と火によってこの町はゴモラ(英語ではGomorrah、ヘブライ語では`amōrāh)とともに滅ぼされた、と伝えられる。その際、ロトと娘たちは救い出されたが、妻は逃げる途中、後ろを振り向いたため塩の柱になってしまった、という(「創世記」13、18~19章)。この伝承が基になって、ソドム(とゴモラ)は、のちに神の審判を受けねばならない悪徳の町、退廃の町の象徴として用いられるようになった。英語の「ソドミー」sodomyが「男色」を意味するのも、この伝承にちなむ。古代の町ソドムとゴモラは、現在、死海の南端の水面下に沈んでしまっているといわれる。
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
キリスト教の影響の強い国、またはその植民地だった国では、ソドミーの語がさす行為は犯罪とされ、禁止する法律が一般的にソドミー法と呼ばれてきました。
つまり、西洋における「性的マイノリティ」は、差別どころか犯罪行為そのものだったわけです。
フランスにおける離別
英国より一足早く、フランスでは同性婚を認める法律が成立(2013年5月)しました。
2012年の大統領選で当選した社会党のフランソワ・オランド(François Hollande)大統領は、「同性婚の承認」を公約に掲げていたからです。
そのとき、誰も大きく反対はしなかったと言います。
同性愛者の結婚とフランス社会は相思相愛でなくてはならない。なぜなら同性愛カップルの権利と異性カップルの権利は同等だからだ。というのが彼らの主張でした。
しかし、その後どうなったでしょうか?
疑問が湧き上がり、反感が噴き出し、フランス社会との蜜月は崩れました。
インターネットや、街頭で、メディアでも、激しい反対運動が盛り上がりました。
そして、巨大な抵抗運動へと発展し、社会は分断されたのです。
ボワロ=オタン氏に聞くと、むしろフランスでは同性愛に対する憎悪が増えているという。
同氏によると、2016年にフランスで起きた同性愛者に対する暴力などハラスメントの件数は、2015年に比べて19.5%増加した。同性愛フレンドリーな街だったモンペリエでも、29.45%増加したという。
出典:ハフポスト日本版 > 「法律で認められてどう変わった?」フランスで初めて同性婚した男性に聞いた
ニッポンの性的マイノリティー
一方、これら西洋に対して、ニッポンはどうだったのでしょうか?
実は、西洋文明が入ってくるまでは至って寛容だったのです。
古事記のスーパーヒーローヤマトタケル
ヤマトタケルの征西
ヤマトタケルは父・第十二代 景行天皇(けいこうてんのう)の御子(みこ)・小碓命(オウスノミコト)として生まれます。幼少の頃より勇敢で力も強く、父はオウスノミコトに、朝廷に従わない西国の九州・熊襲建(クマソタケル)兄弟を征伐するよう命じました。
自分の力を試せると大喜びした小碓命は、叔母のヤマトヒメから衣装をお守りに頂くと、短剣を持って出発したのでした。
オウスが九州・熊襲に着くと、さっそく熊襲建兄弟の館を見つけました。しかし、館は厳重に警戒されていたため、ある計画を企てます。
オウスは少女のように髪を結い、ヤマトヒメから授かった衣装をまとい、女装をして熊襲の女たちに混じって宴に紛れ込みました。祝宴が進む中、熊襲兄弟が酔ったのを見計らったオウスは、懐に忍ばせていた短剣を取り出し熊襲兄弟を討ちました。
西国で一番強い熊襲兄弟を討った事から、強者の称号である「タケル」の名をもらい、以後、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の名で呼ばれるようになりました。
出典:古事記
女装して熊襲兄弟を討った「ヤマトタケルノミコト」は、以後、古事記のスーパーヒーローとして語り継がれるのです。
あの戦国武将もバイセクシャル
漫画の題材となることも多い戦国武将には、男色を楽しんだ方がたくさんいます。
織田信長
信長の男色と言えば「森蘭丸」、森蘭丸といえば「小姓」というイメージが強いですよね?
小姓が戦国時代になると多く出てきたのには理由があります。
それは、戦場での長期滞在に女性を連れて行くことはできないからでした。
つまり、ほとんどの戦国武将は「バイセクシャル」だったわけです。
ちなみに、次男の信雄も美少年の処刑をやめさせるぐらいに男色に入れ込んでいたようです。
『勢州軍記』には、兄・信孝がそんな信雄の様子を皮肉る様子が書かれています。
武田信玄
弥七郎という小姓に手を出したことがばれて、釈明する手紙を送っている記録が残っています。
その相手は、6歳年下の春日源助に送ったとされているラブレターです。
東京大学史料編纂所に所蔵されています。
そのラブレターは、武田信玄が弥七郎という男性との浮気を春日源助に疑われために送ったようです。
伊達政宗
独眼竜・伊達政宗も恋人の小姓に当てた恋文を残しています。
政宗は男色を誇りにしており、少年と契りを交わすたびに自分の体に傷をつけ、その証にするといったかなり変わった大名だったようです。
徳川家康
家康は本来年上の女性を好んでいましたが、『甲陽軍鑑』によると、そんな家康も忠臣の一人である井伊直政の美しさに魅了され関係を持ったそうです。
江戸幕府を発展させていった3代将軍家光や5代将軍綱吉もまた男色を好んでいたそうです。
俳句家・松尾芭蕉も
松尾芭蕉は、弟子と一緒に旅に出ることが多かったと言われています。
その弟子のふたりと恋仲だったそうです。
『奥の細道』は有名ですが、『笈の小文』という紀行文には、杜国(とこく)と越人(えつじん)というふたりの愛弟子との旅行について記載されています。
寺院でも流行った男色
仏教ではどちらかといえば女性との性行為を嫌う性質が強くあり、徐々に男色を許す文化が発展していきました。
稚児との性行為を、稚児を神格化する儀式「稚児灌頂(ちごかんじょう)」とするという荒技で男色を正当化することも行われたのです。
つまり、ニッポンは古代から「性的マイノリティ」に対しては寛容だったのです。
なぜ、いまLGBT法案?
そもそも、ニッポン国内においては「性的マイノリティ」に対しては寛容であり、欧米で起こっているような露骨な差別も見られない中、なぜ、法制化する必要があるのでしょうか?
「性的少数者一人一人が生きづらい世の中をつくるのは国のためにならない」
上記は、ラーム・エマニュエル(民主党)駐日米国大使が、5月中旬に都内の米大使館で立民代表らと面会したときに語った内容です。
これだけには留まらず、法案成立を求める言動を繰り返してきました。
言うまでもなく、こういうのを「内政干渉」と言います。💦
もうひとつ、重要な要素があります。
それは、その直後に開催された「G7広島サミット」です。
首相の右隣にいる人は来日前に駄々こねていましたよね?
つまり、条件提示に「これほどいいタイミングはなかった」ということです。
その目的
何故、ここまでして、この不自然な法案を通そうとしているのでしょうか?
それには明確な理由があります。
これが、今のアメリカの混乱ぶりの元凶とも言えるでしょう。
保守論壇で多くの論客が、共産主義が内部(民主党)から破壊していると言います。
端的に言ってしまうと、「分断工作」による社会破壊です。
それは、間接的にニッポンも侵蝕されているということです。
まとめ
ところで、「差別解消」や「差別禁止」が進んでいる国々で、いま何が起きていると思いますか?
- 女性のみの刑務所に「自称女性」が入所して性的暴行をはたらいてしまう
- 女子スポーツ界に「自称女子」が参入して元男子が上位を占めてしまう
- 安易に自認だけを根拠に性転換手術をしてしまい元に戻せず悔やんでしまう
これだけでも、法案成立後にこの国で起きてしまうであろう諸問題は想像できると思います。
今回の不自然な動きを見ると、自民党内部から「その侵蝕」が進んでいると言っても過言ではないでしょう。
でも、ここで大きな疑問が湧きます。一応見た目は保守政党である自由民主党の議員が、そのことに気がついているのでしょうか?という素朴な疑問です。💦
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。