歴史

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【日本観光】『富士講』という信仰で東京でもできる富士登山

徳川時代、山岳を信仰の対象にし、講を設けて集団登山する習わしがあったことをご存知でしょうか?それまでは信仰の旅が主流であった庶民のあいだに「物見遊山」の旅が広がっていきました。「伊勢詣」とあわせて、江戸を中心に広まったのが「富士詣」です。
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【農業協同組合】JAの原型を作った大原幽学とは?

大原幽学が第一に行ったのは、「先祖株組合」の設立です。その内容は加入者が五両に相当する耕地を提供する。耕地が生む利益を無期限に積み立てる。その目的は、「親先祖を楽しましむるため」というものです。先祖株組合は、協同組合の原型ともいわれています。
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【天保の大飢饉】逃亡劇が諸国まわりの道楽にもなった『おおらかな時代』

ここにも、意外な徳川時代がありました。磔刑(たっけい)を受け、逃亡した囚人を改めて処罰しようとはしなかった。罪は罪でも、それは村民(公共)のためにおこした行動であるからして大目にみる。こういった抜け穴が存在していたのが徳川時代だったようです。
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【ハチエモンが書いた勧農教訓録】牢内でも基本的人権が保障されていた江戸時代

上野国(群馬県)那波郡川越藩前橋分領東善養寺村の百姓であるハチエモンだけが永牢を申し渡されたという、その無法な話の事情は明白ではないですが、藩庁が手心を加えてくれたエピソードや、百姓は侍と平等だと書いた「勧農教訓録」を牢内で書き上げたという話には驚きます。
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【にいなめさい】11月23日の「新嘗祭」が、「勤労感謝の日」になった理由は?

新嘗祭は「にいなめさい」と読みます。誰も教えてくれないから、読めもしないし、なんのこと?という感じですよね。新嘗祭とは、その年の収穫に感謝して新穀を神様にお供えし、来年の豊穣を願う行事です。11月23日は「勤労感謝の日」という国民の祝日でもあります。
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【江戸時代の文化】広く庶民にも及んでいた旅行やエンタメ

歌舞伎見物のように江戸時代は文化的享楽が広く底辺の大衆にまで及んでいました。お伊勢参りもその代表的な例で、参拝者は講を作って旅費を積み立て、集団で物々しく出で立ち、所縁の恩師の家に泊まりました。このお伊勢参りが何百万という集団参詣に膨れ上がるのが「おかげ参り」です。
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【代議制もあった!】『花押(かおう)』から見えてくる意外すぎる江戸時代

徳川時代は、農民をはじめとした民衆が、権利意識を持って生きていたことがよくわかります。村として花押の使用が確認された近江国今堀村や、大坂で起きた「文政六年千七ヶ村国訴」、盛岡藩領で起きた一揆で百姓達が役人に言った言葉でもよくわかります。
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【西南戦争とは?】最後の内戦の戦死者数は薩軍6784人、政府軍6843人

朝日新聞隆盛の礎を築いたひとりである池辺三山の父「池辺吉十郎」が、西郷の反乱に与して戦った西南の役を辿ります。熊本隊が決起した健軍神社、熊本城と続き、最後は激戦の地田原坂です。田原坂には両軍合わせて1万3,082の名が刻まれる慰霊碑があります。
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【生麦事件と馬関戰争】開国して始まる屈辱的外交によって起きた事件

幕府主導にせよ、薩長主導にせよ、強力な中央集権国家を形成する以外、ペリー来航以後の局面に対応する途はなかったのが明治維新なのです。そんな国家存亡の危機の中、生麦事件と馬関戰争は起きました。
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【人吉のミクヴェ】隠された九州相良の歴史を探る

人吉の相良清兵衛屋敷跡地で見つかった地下室遺構は、ミクヴェとしての条件は満たしているとのこと。晩年、相良清兵衛が宮原銀山近くの岡本で隠居生活を送っていることからすると、銀採掘のために銀山技術者を招聘していたと考えるのが自然な気がします。
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