【市来龍夫さん】インドネシア独立のために生命を捧げてくれた日本人

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東京都 芝にある青松寺に、『市来龍夫君と吉住留五郎君へ 独立は一民族のものならず 全人類のものなり』と書かれた記念碑があることはご存知でしょうか?

テレビでも有名な「デヴィ夫人」の夫でもあった「スカルノ初代大統領」が、自らの文字と文章で碑に綴った言葉です。

ところで、あなたの郷土にどのような偉人がいましたか?と問われたら答えることはできますか? 

私も実は人吉・球磨の偉人までは何とか答えられても、多良木の偉人は?と問われたら、恥ずかしながら返答できなかったと思います。

人吉球磨の偉人

市来龍夫」という郷土の偉人。

インターネットという技術が今のように普及していなければ、おそらく永久に知ることはできなかったでしょう。

ちなみに前者の場合の回答は、問うてきた人にもよりますが、おそらく人吉出身の詩人である「犬童球渓」と答えると思います。

代表作は日本人であればほとんどの人が知っている『旅愁』と『故郷の廃家』があります。

なぜ、ほとんどの日本人が知ってるかといえば、間違いなく子供の頃に音楽の授業で習ったからに他なりません。私が卒業した小学校の校歌も犬童球渓先生が作詞されたものです。

その一方で、「市来龍夫」という人物については学校で習うことはありません。

何故なのか?

東京芝の青松寺にある顕彰碑

市来龍夫(いちきたつお)という方は、下記引用文献の中に「明治39年熊本県人吉の多良木生まれ、熊本士族の子孫である。」とあります。

スカルノ大統領

その内容ですが、市来龍夫は、インドネシア独立の為に生命を捧げてくれた日本人であり、スカルノ初代インドネシア大統領が来日したとき、「二人の英雄を忘れては、永遠に日本とインドネシアの友好はない、何とかしてほしい。」と言わしめた人物です。

写真は、それを受けて、東京都 芝にある青松寺に、スカルノ大統領特有の文字と文章で彫られ建碑されたとあります。


市来龍夫君と 吉住留五郎君へ
独立は一民族のものならず 全人類のものなり
1958年8月15日 東京にて スカルノ

インドネシア独立

 『市来は、インドネシアの独立を援助する、と約束しながら果たさないで敗北した日本政府の大きな落胆を、日本人を棄てる事で抗議し、郷里に彼の帰りを待ち侍びる母と妻を思い切り、インドネシアの独立に生命を捧げたのです。

ありがとう、市来龍夫、あなたは素晴らしい人でした。
アリガトウゴザイマンタ。タツオサン、アナタハ タイヘン シンセツデシタ。
1996年7月19日付コンパス紙掲載』

「残留日本兵の証言」から引用

このような戦時中の英雄は、他にも沢山の方々がおられるのだと思います。

このような歴史が、学校で教わるどころか、我々子孫に正しく語り継がれることなく忘れられようとしていることは非常に残念なことですが、戦後77年経った今、その理由が少しづつですが明らかになってきています。(タブーでなくなってきた)

地方が衰退していく根本的な理由は、歴史教育にあると確信(郷土に誇りが持てない)しているところですので、郷土の偉人についても継続して書いていこうと思います。

まことちゃん
まことちゃん

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