江戸時代の庶民がどのような暮らしぶりだったのか、おそらく、ほとんどの日本人は知らないことでしょう。
当時の庶民の暮らしを正しく知ろうと思えば、江戸時代後期に日本を訪れた外国人による、日本の庶民生活の見聞録「逝きし世の面影」渡辺京二著が参考になります。
目次
第1章 ある文明の幻影
第2章 陽気な人びと
第3章 簡素とゆたかさ
第4章 親和と礼節
第5章 尾雑多と充溢
第6章 労働と身体
第7章 自由と身分
第8章 裸体と性
第9章 女の位相
第10章 子どもの楽園
第11章 風景とコスモス
第12章 生類とコスモス
第13章 信仰と祭
第14章 心の垣根
第8章~第10章は、とくに興味が湧く表題ですね ^^;
当時は混浴なんて当たり前で、性に対しては、とても「おおらか」だったようです。
それから、社会が無償の情愛でこどもを育てていたとのこと。
江戸時代の日本は「子どもの楽園」「子どもの天国」だったと書かれています。
外国人の目から見た日本人は、どの階級の人たちも幸福で気さくで、総じて自分の生活に満足そうだ。という驚きがあったといいます。
彼は明治二十二(1889)年の仲通りと銀座の群衆について次のように記す。「これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、『おはよう』『おはようございます』とか、『さよなら、さよなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。
「逝きし世の面影」から一部引用
当時、来日した外国人たちが、日本人のふるまいそのものを絶賛していたことがよくわかります。
今は、幅広く情報を得られるようになってきたので、昔ほどではなくなってきたとは思いますが、それでも、明治維新後の近代化によって、日本は豊かになったのであり、江戸時代までは封建的で息苦しい社会だったと誤解している人のほうが、まだまだ多数派です。
今より江戸時代の庶民のほうが心豊かに暮らしていたのでは?と思いますね。
ちなみに著者である渡辺京二さんは、熊本市在住であり、熊本に関わる歴史本も執筆されている方ですが、現在は、熊本日日新聞で、「小さきものの近代」を長期連載中です。
「小さきものの近代」は、連載開始時に以下のように紹介されていました。
幕末から明治維新を経て、敗戦に至るまでの日本は、史上まれにみる激動の時代だったとされる。長期連載「小さきものの近代」は、江戸幕府の幕藩体制を解体し、近代国民国家が構築されていく中で、名もなき市井の人たちはどのように生きたのかを追い、明治維新や日本の近代化の意味を考える。
引用元:熊本日日新聞(令和3年4月3日朝刊)
まだ連載途中ですが、第1巻が今年7月に刊行されました。
たまに「逝きし世の面影」や「小さきものの近代」の中にある名もなき市井の人たちの生き方を参考ににしながら、ゆるっと読まれることをお勧めします。
最後に、故西部邁先生の『逝きし世の面影』に対する批評コメントを添えて終わりです。
「渡辺京二さんが『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)という本で面白いことをやっていまして、幕末から明治にかけて日本を訪れたヨーロッパ人たちの手紙、論文、エッセイその他を膨大に渉猟して、当時の西洋人が見た日本の姿――いまや失われてしまった、逝きし世の面影――を浮かび上がらせているのです。(中略)この本を読むと、多くのヨーロッパ人たちが、この美しき真珠のような国が壊されようとしていると書き残しています。」と評した。
Wikipediaより引用