【多良木町槻木地区】弘法大師空海に高野山を授けた神が祀られる場所

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全国には、弘法伝説というものが、至るところにありますが、ここ多良木町にもあることは、あまり知られておりません。

宮崎県と接する多良木町の南端に槻木(つきぎ)という秘境中の秘境があるのですが、ここにも、弘法大師に纏わる物語があります。

場所は、黄色〇で示す辺りになります。ここに「大師山」という山があり、山の麓に「御大師」という集落(小字)があり、その集落には、日本遺産構成文化財でもある「槻木大師堂の弘法大師像」が鎮座しております。

地理的にも、ここ槻木地区は謎めいた位置にあります。

朱色のラインは多良木町を示しており、南端側は宮崎県との県境です。

水色のラインは球磨盆地を取り囲むように高く聳える九州山地の尾根筋にあたるラインを示します。

見てのとおり、多良木町以外の県境は、全て尾根筋に沿っていることがわかります。

槻木地区は、地理的には完全に宮崎県側にあたる場所にあるのに、不思議なことに多良木町(熊本県)なのです。その理由は、どうやら歴史的な背景が大きく影響していたようです。

真言宗を保護した相良氏は、島津氏との領土争いの最前線として、ここ槻木で領土の安全と敵国降伏の祈願をして南の守りを固めたと伝えられます。

401 人吉盆地の隠れ里 槻木集落再訪 “四所神社の丹生津姫”

真言宗を保護した相良氏とありますが、大師堂の近くにある「四所(ししょ)神社」も、弘法大師と深く関わっていることがわかります。

四所神社には丹生都比売(にうつひめ)が祀られていますが、丹生都比売と言えば、世界文化遺産でもある「丹生都比売神社」の第一殿である丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)のことであり、サイト内の神社の説明には、「弘法大師に高野山を授けた神の社」とあります。

弘法大師に高野山を授けた神の社

当社は、随筆家白洲正子が神々住まう高天原にたとえた穏やかな田園風景が広がる天野盆地に1700年以上前より鎮まる神社です。弘法大師空海に高野山を授けた神として、またすべての災厄を祓う神として広く崇敬されています。

世界文化遺産丹生都比売神社

さらに、つづきがあります。

この説明文によれば、「九州山地での鉱物資源探索の話とも重なり」とあります。

誠ちゃん
誠ちゃん

ひょっとすると、空海がこの地で水銀採取を行っていたのかもしれませんね?

ちなみに、四社神社は、四柱が相当であるはずなのに「熊本県神社誌」では、祭神は丹生明神一柱となっているようです。

その理由は、手前に熊野座神社があり、こちらが排除された地主神(先住神)だったのでは?とのこと。

現地でも確認しましたが、下記写真のように確かに熊野座神社が手前にありました。

つまり、

その話の延長に思いめぐらせば、丹生都姫を持ち込んだのは空海とされているようですので、“それ以前は熊野三座を信奉する人々が住んでいたことが想像できそうだ”とまでは言って良いように思います。

401 人吉盆地の隠れ里 槻木集落再訪 “四所神社の丹生津姫”

とのこと。

それ以前の話(熊野三座を信奉する人々)についても、もっと深掘りしたいという欲求を掻き立てられてしまいますが、相良入府より以前の歴史は相良によって抹消されているそうで、それ以前の歴史はほとんど確認が採れないようです。

さらには、この地区の過疎化が極限まで進んでいることで、国および地域の財産である、これら文化財の維持すら厳しくなっていくという状況は非常に心痛い話でもあります。

最後に、ここ御大師を走る道路脇に転がり落ちていたという巨大な「悠久石」を紹介します。

正確な名称は、「千年の目覚め 平成 悠久石」と言い、「数千万年前に形成されていた砂岩が長い時間の中で風化浸食により割れ、流される途中で角が取れ、円形となった砂岩礫(さがんれき)と考えられる。」とのことです。

素人的には、もしかすると水銀鉱床とも関係しているのでは?と考えたりもするのですが、、

誠ちゃん
誠ちゃん

最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

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